はじめに

1999年、私の身体に突然怒りを表現するかのような症状が出現しました。関節が腫れ、体中の血管から水が漏れ始め。。。医師としてこれから、というその時期に突然起こった現象。

治療と自問自答の末、6ヵ月後に音楽留学のため渡米することになります。

理屈に合わない身体の突然の反応。それは2011年に再び訪れます。音楽家として自立し、長女を出産した直後、長いうつ状態に陥りました。母親として喜びにあふれるべき時期に、思考が止まり、自分の名前さえも実感が持てない時期が続きました。その時期に、恩師となるMyriam Brousse に出会います。

その後、自分の身体の奥に眠っていた思い出(細胞の記憶)を紐解く旅が始まりました。

現代社会は、自分も含め理性(メンタル)を優先視する傾向があります。理性により社会の調和が保たれたり、つらい経験や記憶を理性的に処理することで 、苦境を乗り越えることもできるのです。

いっぽうで、私たちの身体(細胞)は、心さらに魂に常に忠実であり続けます。

理性的に押し込められた記憶は身体の深くに沈殿し、身体あるいは精神の症状となって表現されることが多々あります。病気になって初めて、身体(細胞)が声を発するのです。

20世紀後半の時代に比べ、病気や心のバランスを崩した際に、既存の診察治療に加え、さらに自己の状態に対する、もう一段階深い理解を求める人々が自身も含め、増えてきていると感じます。

魂が萎縮する、といった表現があります。 私たちの魂が萎縮するという事は、例えば、自分がいったい何者で、何をするために生まれ生きているのか分からない,あるいは忘れてしまった、そのような生きる気力が枯渇している状態です。   そのような状態でも外界は容赦なく私達の内なる叫びを押し潰し、プレッシャーの下、身体を壊し、しまいには精神を病む状態にまで追い込まれてしまう事さえあります。

多くの自殺者を産み出す現代社会に生きる中、一人ひとりが自身の内なる(身体の)声に少しずつ耳を傾け、真の自己の望む道のりに近づいて生きていける、その事を心から願うばかりです。